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大変だけど、育つもの

私には8歳になる娘がいます。女の子ですが小さい頃からやんちゃで、そうでありながら敏感で繊細なところもあり、だいぶ、戸惑いながら子育てしてきました。同時にこれまでを振り返るといろんな方からのたくさんの声かけに支えられたなと思います。

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例えば、子育て広場で危険を顧みずに果敢にハイハイ→「好奇心が旺盛ね、エネルギッシュだね」。チャイルドシート上で小一時間号泣、何してもダメ→「根性あるなぁ」。なかなかおっぱいがやめられない。人に預けられない→「ママのこと大好きなんやね」。とにかくよく怪我をしていて疲れきって病院受診したときには→「お母さん大丈夫、3歳過ぎたら怪我もあんまりしなくなるよ」。感情の起伏が激しかった娘の対応に追われていたとき→「育てがいのある子だね~」。

そのときどきで、そういう言葉をすんなり受け止めることができたり、そうじゃない~と反発したり、様々だったと思うけれど、関わってくれた人が私たち親子の姿を見て、何かしらの言葉をかけてくれる。そういうこと自体に、ありがたさがあったように思います。

私は主人の仕事の関係で妊娠中、子育て中に3回ほど県をまたいで引っ越しをしたのですが、慣れるまでは本当に大変でした。近くに頼れる人がいない中、体調もイマイチで行きづまっていたとき、娘の健診で出会った栄養士さんのことを今でもはっきり憶えています。「私も頼れる人がそばにいない中で子育てしてきた、できることなら2時間でも3時間でも子どもさんを預かってあげたい」と言葉をかけてくれました。抑えていた気持ちがあふれて涙してしまった私は、実際には預かってもらうことができないとわかっているのだけれど、その言葉だけで、気持ちだけで、温かく抱えられ、こんなに救われるのかと感じました。その後地元に戻り、その頃の事を思い出す度、助けの少ない育児をしている人の何かしら力になれる人でありたいなと思い続けています。

そして、私にとって育児に欠かせなかったもう一つの存在、それは一緒に子育てしながらお互いの子どものことを身近に感じることのできるママ友です。一人で目の当たりにしたときには心が折れてしまいそうなことも、ママ友に話すと何故だか笑いが起こったり、「○○ちゃんらしいね」「おもしろいね」と一緒に笑い飛ばしてくれるとき、大げさかもしれないけれど魂の救済レベルのカタルシスがあり、また頑張ろうと思えます。これは現在進行形で今も大きな存在です。

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また、学生時代にお世話になった先生が、「息長く自分を育てる」と言っていたことも折に触れ思い出します。今の世の中、結婚する、しない、したいけど縁がなかった、子どもを持つ、持たない、持ちたいけど授かれなかった等、ほんとうに様々な形があると思います。でもどのような形であっても、大人になりきれていない、育ち切っていない自分をよしよししながら、そのときを一生懸命駆け抜けて行く中で、何かしら育っていくものがあるのではないかなと思います。それぞれの立場の育ちを共有したり、共感できる人でありたいなとも思っています。

昔撮影したビデオカメラの映像を時々見返すのですが、小さかった娘の姿をかわいいなと感じ、過去の自分の姿に若さを感じ、何より、娘に対してものすごく優しく接する自分に愕然とするのは何故なのでしょう(笑)いろんなことを一番反省する瞬間です。

コラム作成者:るーちゃんママ

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