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二日酔いと砂浜

正月の朝、二日酔いで目が覚めた。コタツで寝てしまったのは何年ぶりだろう。
意識がはっきりしてきて最初に「ああ、また叱られる」という感覚に襲われた。
具体的に『誰から?何を?』という訳でもないのに。

実際に最初の一声はあっけないもので、小3の娘から「お父さん昨日何時に寝たの?」と言われただけだった。
あきれられてか正月だからか、妻からも特に何も言われなかった。

毎年、元旦前後に暖かい日が時々あるもので、その日は久しぶりに家族で海の近くの公園に
出かけた。子どもたちの目的は公園近くの海岸での砂遊びだ。
年齢のせいかコロナのせいか、すっかり友達とLINE通話しながらのオンラインゲームに熱中している小6の息子も、年に何回かはこの砂遊びに行きたがる。

ところで、ぼくは子どもと遊ぶのがあまり得意ではない。
もちろん「一緒に遊ぼう」と誘われれば、一緒には遊ぶ。ただ、子どもたちが熱心に
砂山を作り、波で崩されそうになってはキャッキャとはしゃいでいるところに、自分から入っていこうとは思わない。
子どもが何かに熱中しているときは手も口も出さずに見守るのが良い、と思っているということもある。

多いとは言えないまでも、途切れることなく子ども連れの家族が入れ替わり立ち替わり
やってくる。
そこで1つ、みんなが同じような声掛けをしていることに気付いた。

ほら、濡れるよ!(ものの数秒後に)ほら濡れた!!(続く言葉は、どうするの!もう帰るよ!など様々)

同じようなやりとりを3回ぐらい聞いたところで、「ああ、だからか」と納得できた。
ぼくたちは恐らく、小さなころからずっとこんな言葉をかけ続けられたのだろう。
つまり「○○しないと失敗するよ」→「ほら言うことを聞かないから失敗したでしょ」という
親や周りの大人からの声かけのことだ。

だから、(たとえ周りがそうとは思っていなくても)自分が何かを失敗してしまったと感じた
瞬間に、自動的にネガティブな言葉をかけられることを思い起こしてしまう。

そんな風に考えると、自分がしている子育てと、親がしたであろう子育てと、それぞれの周りの社会の環境と、そして何より大人となった今の自分を、客観的に見られたような気がして嬉しくなった。

目の前ではいよいよ潮も砂山の近くまで満ち、子どもたちに交じって妻も靴を濡らしそうに
なりながら遊んでいた。

パパコラム二日酔いと砂浜.jpg

その夜、夕飯はとっくに終わったころになって娘が「お父さん今日は何本ビール飲んだの?」と聞いてきた。
「さすがに今日は飲まないよ」と返事をすると、「じゃあよかった」とニンテンドースイッチをしながら、興味なさそうに答えた。

コラム作成者:枝川 詩音

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